甲子園を見て思うこと、レギュラーになれないと意味はない!
選抜甲子園大会が盛り上がってますね!
プロ野球とはまた違った面白さがありますよね。高校野球が面白いのはやっぱり一球に掛ける思いでしょうか、負ければ終わりという緊張感が作り出す汗と涙の物語が私たちを感動させてくれます。
ただ甲子園を見ているといつも思うのが、レギュラーになれない球児たちはなぜがんばれるんだろうかということです。
こういうこと書くと批判されそうですが、誰も言わないので書いてみたいと思います。
レギュラーになれないのに頑張ることは美談?
テレビを見ていても、ネットを見ていてもレギュラーになれなかった人たちが頑張ってチームに貢献している様子は美談として扱われています。
よくベンチ入りできなくてスタンドで応援している3年生の様子が映りますよね。それを見て私たち視聴者は「レギュラーになれなかったのに腐らずにチームに貢献してなんて偉いんだ」と思うわけです。
確かに美談ですよね。日本人はこういった影の努力や貢献に弱いです。私もある意味では美談だと思います。
でもやっぱりレギュラーになれなかったら意味がないとも思うんです。野球が好きで続けているという人もいるかもしれませんが、それならば極論になりますが、レギュラーになれる高校に転校したり、試合に出れる環境に移ったほうがいいと思うんですよ。
試合に出るってことが重要
やっぱりいくらきれいごとを並べようと、何かをする上で”試合に出る”という行為は最も重要だと思うんですよ。
練習するからには、それを発揮する何かしらの場所がないとその練習は意味のないものになってしまいます。
こういうこというと「練習することに意義がある!」って怒られそうですが、やっぱりそれって綺麗ごとなんですよね。誰にも見てもらえないのに俳句を書くための練習を続けているようなもんですよ。
ただそんなこといったってレギュラーになれるのはほんの一部じゃないかとなりますよね。だから現在の場所でレギュラーになれなかったら、なれる環境に異動する努力をするべきと思うんです。
もちろんこれは練習してレギュラーになれる可能性があるひとは別ですよ。そうではないような状況になったときにその環境から離れるってことは逃げるように思われてしまうかもしれませんが、違うところで勝負に行く人はそうは思われませんよ。
野球が好きな人は試合に出れる環境を探せばいいし、野球にこだわらなければほかのスポーツをやったり、別の得意ななにかに注力すべきです。
結局何が言いたいか
まあ色々と書きましたが、結局言いたいことは、レギュラーになれなくても頑張ることが美談みたいに扱う風潮はやめません?ってことです。
この風潮がレギュラーになれなかった人が別の道を歩むことを阻害する要因になっていると思うのです。
例えばレギュラーになれなかった人が部活をやめたら、逃げたみたいに思われる感じあるじゃないですか。それは違うと声を大きくして言いたいです。
色々な意見があると思いますが、私はやっぱり試合に出るってことが重要だと思いますよ。
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